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延命治療の廃止の公約(ブログ3968)

  • 2025年07月09日

 参政党の公約はエスカレートするばかりで、一つ一つに緻密な裏付けが無く、思いつきとナショナリズムをごちゃ混ぜにした様なものが、神谷代表の口から垂れ流されています。

 今回は、「終末期延命措置の全額自己負担」という公約が出されました。

 いわく、「看取られる時に蓄えもしないと大変だと啓発する思いで(公約に)入れた」と遊説先で話しました。

 公約は、「過度な延命治療に高額医療費をかけることは国全体の医療費を押し上げる要因の一つ」と指摘。胃ろうや点滴による延命措置は原則行わないとし終末期の延命措置の全額自己負担化を掲げました。さらに、本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避する為の尊厳死法制の整備などを訴えています。

 これに対し、福岡厚労相は終末期治療について「生命倫理に関わる問題として国民的な議論が必要、慎重に検討すべきものだ」と語りましたし、私は、終末期で延命治療が必要な患者は、自らの意思で尊厳死を選択する事は機能的にできないと思います。

 過去国会において「臓器移植法案」が議論され、脳死=人の死、なのかが議論されました。この議論を経て、臓器移植に限定し、さらにいくつかの医学的条件が客観的に死と認められた場合にのみ臓器移植を行う事が出来る事になりました。

 そして、今も①深い昏睡にあること②瞳孔が固定し一定以上開いている③刺激に関する脳幹の反応がないこと④脳波が平坦であること⑤自発呼吸が出来ないこと の5項目を行い、6時間以上経過した後に同じ一連の検査(2回目)をすることで、状態が変化せず、不可逆的である事を確認をし脳死と判定されます。

 参政党の主張する終末期延命措置とは、単に胃ろうや点滴だけなのだとすれば、余りにも安易で、その人の家族や関係者の心情を余りにも無視した考えではないかと思います。

 仮に脳死の状況が続いた場合は、医師と家族の間に十分なインフォームドコンセントが必要で、そのプロセスを経て家族の同意の下に延命措置の終結となります。

 それを、「終末期の延命治療は原則行わない。行うなら全額自己負担」という事に果たしてなるのでしょうか。福岡厚労相が話したように、「生命倫理に関わる問題」です。

 同じように、国民民主党の玉木雄一郎代表が社会保障の保険料を下げるために、高齢者医療・終末医療の見直しに踏み込み、「『尊厳死の制度化』も含めて、医療給付を押さえ、若い人の社会保障料を抑える事が消費を活性化させる。」と発言、尊厳死の導入を公約にしました。  尊厳死と経済を並列にして議論する神経を疑います。

 つまり、高齢者は社会保障費の重荷になっているというのが国民民主党、そして参政党の基本理念と言うことです。

 どちらも若い年代からの支持が多い政党ですが、その支持者の方々は父母や祖父母が終末期医療に入った場合、自動的に尊厳死となることを容認するのでしょうか。

 いや、高齢者だけが終末医療というわけではありません。子どもや恋人、妻や夫が不慮の事故や回復不能の病気になった場合であっても、同じように割り切れるのでしょうか。

 過激な様々な公約が、これまでと違うとか、面白そうだとかという理由で盛り上がり、その結果が自己の首を絞めることに繋がるかも知れないことに想像力を働かすべきです。


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