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最高裁人事へも介入

  • 2020年05月21日

 渦中の人である東京高検黒川弘務検事長が、あろうことか賭け麻雀で辞任することになりました。

 この方は、麻雀が大好きのようで、以前から検察担当の記者たちと麻雀に興じ、マスコミも黒川番には麻雀が出来る記者を担当させていたとのこと、また、カジノのためにマカオまで行ったこともあるようで、根っからの博打好きだったようです。

 こんなことがあっても、官邸は秋の臨時国会で改めて検察庁法改正案を提出したいとのこと、余程、検察を意のままにしなければまずい事が多苦あるのでしょう。

 さらに、安倍政権の司法への介入は、検察庁だけではないようです。

 週刊ダイヤモンド5月25日号「司法エリートの没落 弁護士 裁判官 検察官」を抜粋すると、

 <1月13日、官邸において菅官房長官が記者会見を行い、最高裁判事の人事について閣議決定をしたことを発表した。

 日本の最高裁判事は15人で、その出身分野は、裁判官6、弁護士4、学識者5(大学教授1、検察官2、行政官1、外交官1)という慣例が長年続いていた。

 この3月で弁護士枠の大橋正春氏が定年を迎えることから、慣例通り日弁連は後任候補を公募し、選考を進めてきたが、官邸はそれを無視するかのような人事を行った。

 新たな人事は、刑法学者の山口厚氏で、山口氏が弁護士資格を取得したのは昨年の8月、事実上、弁護士としての活動経験はほとんど無い方で、それでも弁護士枠というのが官邸の言い分のようだ。

 なぜこういうことが起こったのか、現役判事は、「今回の人事は明らかに官邸の意向だ。弁護士出身の最高裁判事が政府をいらだたせる意見を書くから、官邸が最高裁に圧力をかけたのだろう。」と話し、問題の本質は官邸による最高裁への人事介入にあると指摘した。

 ここ数年、衆議院選挙と参議院選挙の1票の格差を違憲状態とする一連の判断、婚外子相続差別の違憲判断など、最高裁の踏み込んだ判決が相次いだ。2006年~2012年にかけて最高裁判事を務めた弁護士の那須弘平氏は「政界では自民党から民主党(当時)への政権交代が起きた。法曹界でも司法改革が進み、裁判所が自由な発想で前向きに判断できた時期で、最高裁も変わってきた。」と話す。

 ところが12年の発足以降安倍政権は、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行い、安全保障関連法を成立させた。さらに共謀罪を創設し、憲法改正に意欲を示す。

 日弁連はこうした動きに反対の立場だ。政権としては最高裁に「自由な発想で前向きに判断」されては困る。そのために日弁連推薦の候補を排除し、最高裁への影響力を強める必要があるのだろう。> と、記載されています。

 5月2日、NHK・ETV特集「義男さんと憲法誕生」では日本国憲法に関わった衆議院議員・鈴木義男氏が、GHQの憲法草案を国会内の特別委員会で議論した折に、9条の平和主義や25条の生存権だけではなく、国家賠償請求権や刑事補償請求権の追加を求め、三権分立を確立したことが放送されました。

 「ギダン」さんとして親しまれた鈴木義男氏は、その後、弁護士としても活躍しましたが、その法廷において話された言葉がドラマ形式で放送され、私の心にも沁みました。

 <司法は政府には逆らえない、裁判自身が政府に迎合している傾向にあった。日本において司法の自立性が欠けている。裁判がその時の政治的圧力に左右された形跡有りとみられる事例は、歴史の法廷においては常に醜いものとして再批判されます。

 学問が政権から超然としておらねばならぬように、裁判も常に政権・政治的な動きからは超然でなければならぬと信じます。

 裁判は政治ではない。一切の政治的勢力ないし影響から超然として、法によってのみ為さるるところに司法の尊厳があり、国家を盤石に置く補償があるのであります。」と話したことが記録されています。

 日本の司法がいつの間にか生々しくなってきたと感じるのは私だけではないと思います。司法は政治と一線を画し、常に「法と正義」に則り、その判断がなされ無ければなりません。


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