戦場の報道(ブログ4019)
- 2025年08月29日
イスラエルの先日のガザ攻撃で、多くのジャーナリストが犠牲となりました。
イスラエルが海外のフリージャーナリストを閉め出す中で、現地の実相を伝えてくれていた記者達の中心は、アルジャジーラの記者たちでした。
アルジャジーラは、カタールのドーハに拠点があり、特にアラブの視点を持って衛星放送を行う独立報道機関で、情報自由度が高いメディアとして国際的な評価を得ています。
今回の攻撃は、そのアルジャジーラの記者達がガザでの拠点としていた病院を狙い撃ちし、5人の記者達が犠牲となりました。
そのアルジャジーラ派遣の記者達の中で中心的に活躍していたジャーナリストがシャリフさん(28歳)で、アラブ界でも知る人となっています。
彼が伝えた報道で、長く続かなかった停戦やイスラエルの人質解放現場、学校や病院への攻撃、飢えに苦しむ住民や子ども達の惨状等は世界中に多くの衝撃を与えました。
アルジャジーラのテレビにほぼ毎日登場したシャリフさんは、「私たち(記者)は病院で、路上で、車の中で、救急車で、避難所で、倉庫で、避難した人たちと一緒に寝泊まりをしています。これまでに30~40ヶ所で寝泊まりをしました。」と話しました。
このような、報道がイスラエル軍の目にとまり、イスラエル軍はシャリフさんに対し、アルジャジーラの仕事を辞めるように警告しました。既にガザで取材をしていたアルジャジーラのスタッフはイスラエル軍の攻撃により多くを失っていました。
この時もイスラエルの将校から「数分以内に今いる場所を離れ報道を止めろ」と警告されましたが、病院からの生中継を続け、その数分後に病院が攻撃を受け、シャリフさんは命を失いました。これまでに犠牲となったジャーナリストの数は現時点で246人となっています。
シャリフさんは、「私はあらゆる(精神的)痛みを経験し、何度も苦しみと喪失感を味わってきた。それでもそのまま真実を伝えることを躊躇したことは一度も無い。私が「死ぬときは、自分の信念を貫き通して死ぬ」、「ガザを忘れないで欲しい。そして、許しと寛容を願う真摯な祈りの中で、私のことを忘れないで欲しい」というメッセージを同僚に託していました。私たちが目にしているガザやウクライナの映像は、ジャーナリストとしての使命感を持って現地からのレポートを発信し続けている彼らのお陰です。
紛争地域からの報道は、常に危険をはらんでいます。故に「国際人道法」においてジャーナリストの法的地位は確保されていますが、だからと言って戦争(紛争)の当事者が必ずしもジャーナリストを保護しているわけではありません。
過去を振り返れば、中東シリアのイスラム国を取材中に拘束され、殺害された「後藤健二さん」や、同じくシリアで武装勢力に射殺された「山本美香さん」、この時は、日本もテロに屈しないとしてイスラム国との交渉を拒否、当時の自民党高村副総裁は「どんなに使命感があったとしても蛮勇と言うべきもの」と発言し、当時シリア行きを計画していたフリーカメラマンの杉山祐一さんに対してパスポートを強制的に返納させました。
戦争や紛争は、ジャーナリストにとって「リスクが伴う取材であっても誰かがやらなければならない、それがジャーナリズムであり報道に使命だ」と、事実を正確に伝えるという使命を持って、危険を顧みずにレポートを送り続けます。なぜなら、戦争は戦士だけでは無く多くの人々の命と財産を奪い、社会を根底から破壊していくからで、その過程では、目を背けたくなるような残忍で無慈悲な行為が行われているからです。その事実を伝えることによって戦争への拒否感や非戦への意識を促すことが出来るからです。そして戦争犯罪者の罪を浮き彫りにすることが出来るからです。
一方、「いくら取材であっても、拉致、誘拐などが起きれば、政府や国民に多大な迷惑をかける。自粛するべきである」という意見もあり、殺害された後藤健二さんには、「自己責任」等という批判的な声もありました。
80数年前を振り返って見ましょう。
日本のジャーナリズムは、「従軍記者」という軍の一部に組み込まれた取材で、大本営発表の片棒を担ぎましたし、日本軍の負の行動を目にしても一切国民に知らせませんでした。そして今、日本の一部に歴史修正主義が台頭してきています。
シャリフさんの行動について、戦時のジャーナリズムについて、国際人道法の遵守について私たちは改めて深く考えなければなりません。