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姥捨ての老後なのか(ブログ3188)

  • 2023年04月15日

 <「自分で死ねないから、国が私を殺してくれるならそれでいい。」サービスを減らされた介護保険の利用者がヘルパーに漏らした言葉である。

 高齢になれば、こなしてきた事が出来なくなる。トイレへの移動が困難になり、ヘルパーが来るまでペットボトルやレジ袋に糞尿する。排泄が間に合わないこともある。それでも「できるだけ自分の力で用を済ませたい」とオムツを拒む高齢者は少なくない。尊厳に関わる事だから。

 介護に時間は削られ、オムツを替えて欲しくても、誰も来てくれない。1枚で12回分の尿に対応できるオムツは1日1回の交換で済むが、これが人間らしい老後と言えるだろうか。

 あるヘルパーは、「利用者は、いつも『すいません』を口にする。『生きていてすいません』と聞こえてつらい。」と語る。介護の最前線で働くヘルパーの目に映るのは、介護保険制度の瓦解がもたらした人間侵害の現実だ。>週刊金曜日に掲載されていた記事です。 そして岸田氏は、介護保険の改悪を更に進めようとしています。

 介護保険料や介護費用の自己負担を増やし、要介護1・2を介護保険から外して市町村の総合事業とする。すなわち、それぞれの自治体の予算の範囲で行え、出来なければボランティアを利用すればいいということ。

 老老介護や親の介護疲れから悲しい事件が後を絶ちません。

 介護サービスを受けることの出来ない人を無くす施策では無く、よりサービスを遠ざけるシステムにすることに、この国の冷たさを見る思いです。

 ヘルパーの皆さんも、日々の現実にいたたまれない感情を抱き、その思いを吐露します。

 「私は足腰が立たなくなったら、生きていたくない。介護現場はどこも人手不足。10年も寝たきりで放置されている人もいる。ヘルパーの私がよく知っている。

 施設に入るのもイヤ!在宅介護もイヤ! 私は(今の)介護保険を利用したいとは思わない。現代版の『姥捨て山』はもう起きている。みんな、そんな現実を知らないのよ。」 この国に生まれ、長い生涯を過ごし、少しは国のために働いたと思っている国民の末路が「生きていたくない。殺してくれ。」という言葉に集約されるべきではありません。

 後期高齢者も、前期高齢者も、そして壮年も青年も、自分の往く道が絶望に繋がらないように、政治を変えなければなりません。


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