背景

ブログ月別アーカイブ

ブログ

>>前のページへ戻る

天皇の「お気持ち」

  • 2016年08月09日

 昨日午後3時、明仁天皇が「お気持ち」を発し、生前退位への思いを国民に託されました。

 これを受け、皇室典範の改正など慌ただしくなってきていますが、憲法第1条には「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定されていることから、国民総意をどのように確認するのかも大きな問題となってきます。

 無論、現行憲法は終戦後、国会の承認の上で交付されたものであり、当然、第1条の規定も、改めて国民の賛否を得たものでは有りません。

 今回も、「国民の総意を国会での判断に任せるということなのか」ということも、天皇制に反対の方々は主張するのかも知れません。

 また、「皇室典範」も国会の議を経る事になりますから、皇室典範をどのように改正するのかも、国民の大きな関心事となるでしょう。

 いづれにしても、今の皇室、とりわけ天皇は忙しすぎるということを宮内庁は国民にも明らかにしなければ、一部の方々のように「税金で、のうのうと暮らしている」という悪態に近い間違った認識を払拭できません。

 天皇は、まず、憲法第6条の内閣総理大臣の任命、最高裁判所裁判官の任命の他に、第7条に規定されているおよそ10項目の国事行為を行いますが、これが年間約150件ほどとなり、他に、憲法の規定は無いものの、公務と称されるものが年間約500件、その他にも天皇自らの行為として、国内外各地での平和への慰霊、災害地への慰問等々が有り、
内閣から上がってきた書類に全て目を通しての決裁も年間2,000件以上に上ります。

 これだけでも多忙を極めていますが、もう一つ大事な仕事が控えています。

 それは、「宮中祭祀」です。

 普段はなかなか国民の目に触れることが有りませんし、マスコミも取り上げませんから多くの国民はご存じないのかも知れませんが、神話に基づき、執り行われているものです。

 現行憲法では公務ではなく私的行為とされていますが、天皇は宮中祭祀の「祭祀王」としての行為が有り、これは、今回の「お気持ち」でも触れられたように、伝統に基づき行われるものとなっております。

 主要祭祀と呼ばれる大祭は年間30回ほど。

 その始まりは、神話に有る天孫の「邇邇芸命(ににぎのみこと)」が地上に降臨する際、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が神鏡を手渡し、「この鏡を、わたしと同じように丁寧にお祀りしなさい。」と命じたことに遡り、その邇邇芸命の子孫が初代神武天皇であり、以来、歴代の天皇が統治と表裏一体である祭祀を執り行ってきた事に由来します。 大祭は、元旦のまだ明け切らない早朝から始まる新年の祭祀「四方拝」から始まり、歴代天皇をそれぞれ祀る、各「天皇祭」、季節毎に行われる「皇霊祭」、皆さん良くご存じの「新嘗祭」などが有り、その他にも毎月1日、11日、21日に行われる「旬祭」、毎朝の礼拝などを「祭祀王」として、古代からの儀式の乗っ取り行っています。

 まさしく国家神道の骨格を為す行為の故、私的行為として扱われていますが、これも 天皇が故の仕事なのです。

 今回の「お気持ち」でも触れられましたが、天皇が崩御された場合の葬儀儀礼である「殯(もがり)」も今後の皇室には負担である事を、暗に話されました。

 「殯(もがり)」とは、ウィキペディアによると、「日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐乱・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。」とあります。

 いわゆる遺体が腐乱し白骨化するまでを見届け、復活が無いことを確認する儀礼ということです。

 なるほど、これは現代にはそぐわない、新しい皇室にとっても精神的に苦痛な儀礼だと思います。

 ご高齢になられた天皇は、年間多くの国事・公的・私的行為をこなすのは難しいことや、その行為の見直しなども「お気持ち」に込められたものと思います。

 「お気持ち」に込められた様々な思いを国民と国会がどのように受け止めるのか、推移を見守りたいと思います。


Copyright(C)高橋とおる後援会 All Rights Reserved.