夕張市がやっと完済(ブログ5205)
- 2026年03月10日
夕張市がやっと赤字再建団体から脱却をしました。厚谷市長、本当にご苦労様でした。
1977年夕張炭鉱が閉山し、当時の中田助役(後の市長)が「炭鉱から観光へ」と市の経済を転換し、当時流行っていた大型のテーマパークに着目、政府からの支援も受けて第三セクター「石炭の歴史村観光」を設立して、次から次と施設を建設、「石炭博物館」、大観覧車やジェットコースターを配した「アドベンチャー・ファミリー」、2万本のバラを植え込んだ「ローズガーデン」、野外ステージでの「ユーパロ・ミュージック・フェスティバル」、「水上レストラン」、「ロボット大博物館」、「立体映画館」、「夕張映画祭」、「マウントレースイスキー場」併設のホテルなどなど、様々なレジャー施設に手を出しましたが、各施設で赤字がかさみ、一般会計が圧迫されて、「石炭の歴史村観光」が自己破産、加森守観光が指定管理となりましたが、再建できず、2006年に夕張市が赤字再建団体に転落、国への返済計画を20年として、夕張市の苦しい道のりが始まりました。
職員の給与も減額、街は寂れていき、市役所の職員も多くが退職したことから、全国の自治体から職員の応援派遣を受けながら、何とか市民サービスを継続していました。
そのときに東京都職員だった「鈴木直道氏」が、当時の石原都知事に自ら手を挙げ、それが認められて夕張市に派遣されました。
夕張市の職員として、赤字再建団体の業務をこなす一方で、市民との様々な交流を深め、その後の夕張市長選挙には、石原氏や夕張市民からも背中を押されて立候補、そして当選しました。
まさしく、20年間という再建計画を策定し国との調整を行う中で、同じ大学の同窓だったことから当時の菅官房長官に可愛がられてきましたが、唯一の財産と言える「マウントレースイスキー場」と併設されているホテルを上海の投資家に格安で売却、そのときに施設の継続と従業員の雇用について、契約書には含まずに口頭での確認だけだったことから、4年後には、施設は香港の投資家に3倍以上の値段で転売され、雇用も打ち切られるという、あり得ない失態をさらけ出しましたが、そのことはあまり大きな事件として扱われませんでしたから、そのことを知る道民も僅かだと思います。
さらに、JRの夕張線を「攻めの廃線」とかっこいい言葉で修飾しバスへ転換、そのバス路線も、減便から廃止となってしまいましたから、先を見据える政治家としての資質にも不安を感じたものです。
時は、高橋はるみ知事が4期で引退する事を表明し、鈴木直道氏の知名度やキャラクターから次期知事にとの声がありましたが、自民党道連は国交省の官僚だった和泉氏に打診、これに対し、当時の菅官房長官と創価学会の幹部が鈴木氏を候補とすることで意見交換、官邸主導の中で進められた候補選出に公明党がいち早く鈴木氏を推薦決定、自民道連も鈴木氏に傾き、和泉氏は自公が一つにならないことから辞退することを表明し、その結果鈴木氏に知事候補が一本化されました(記憶の関係で、若干前後しているかも知れません)。
その後、知事として夕張市にどのような支援をしたのかは分かりませんが、鈴木知事が夕張市の赤字再建20年計画を8年目で投げ出した後の夕張市の再建は、厚谷市長が全て背負い込み、総務省との交渉や市民への対応、職員への説明と納得を得る事などに奔走した12年間だったと思います。
何より、厚谷市長は責任を果たし、これから本当の街づくりという仕事に向かう事になります。 今後の活躍を大いに期待したいと思います。





