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スウェーデンに学ぶ

  • 2014年09月12日

 小倉志郎著「元原発技術者が伝えたい本当の怖さ」を読みました。

 その中で、小倉氏が、スウェーデン社会研究所の所長にスウェーデンの原発事情を聞きに行った時の文章を引用します。

 “こちらが話しを聞きに行ったのに、冒頭から、逆に「あなたたちはナゼ、原発に反対しているのですか」と質問されてしまった。

 私たちは意表をつかれた訳だが、そこは普段から「まじめに」考えている私たちだから、即座に次のような問題点を答えた。

 ①原発で大事故が起きたら放射能汚染によって日本の国土は人が住めなくなる。

 ②原発から出る使用済み核燃料は非常に高い放射性物質を含み、安全に保管・処分する方法が見つかっていない。

 すると所長さんは、そういう技術的な問題点に関わる話をせず、日本とスウェーデンとの一番の違いは「民主主義の成熟度に大きな違いがある」ことだと言う。その中身がとても参考になるので以下に説明したい。

 スウェーデンには国家の将来像を決めている法律があり、その法律に基づいて提案された政策を検討・判断するという。その法律の柱は二つである。すなわち、スウェーデンの国家の将来像は次のようなものだ。

 ①継続可能な社会であること。

 ②次の世代に負担をかけないこと。

 これだけでも原発をどうするか考えるのに大きく影響するのに、さらに、所長さんが言うには、「技術的なこと以前に日本の社会はスウェーデンの社会に民主主義の成熟度で四百年の遅れがある。スウェーデンには何をするにも、住民の納得を得なければならないと法律が決められている」というのだ。「四百年」はオーバーではないかと私は思ったが、スウェーデンの大学は世界で一番早く四百年前にできたのだそうだ。

 勿論、現実の社会はスウェーデンといえどもパーフェクトではないだろう。しかし、民主主義の基本原則が守られている、というか、政府も国民もその原則を法律で守ろうとしているところは、今の日本と大違いだ。”

 と書かれていました。

 日本という国の政府は、ものの判断基準が「経済」でしかないと思います。

 全てのものが「経済に寄与するか」で決められ、原発も廃炉や事故を考慮した総体コストではなく、単なる発電コストが経済にどれだけ寄与するかで再稼働が考えられ、基本的人権よりも企業の利潤が大事で、非正規職員や低賃金労働者を使い捨てにする労働法制となり、瑞穂の国の農業は株式会社化、医療も福祉も経済性で切り捨て、軍需産業振興のための「武器輸出三原則」の撤廃。

 判断基準が国民の幸せではなく、企業の幸せ、経済の発展で決められるこの国の民は、政府に洗脳されることなく、小さな声をつなぎ合わせて国のあるべき将来像を求めて行かなければなりません。


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