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あれから20年

  • 2013年07月11日

死者230人、行方不明29人、負傷者323人、家屋の全壊601件、消失112件浸水455件という大きな被害を被った、1993年7月12日午後10時17分12秒、北海道南西沖地震から20年が経ちました。
あの時は、ちょうど衆議院選挙の真っ最中、金田誠一候補の本隊車は檜山に入っていました。
函館市本町の選対事務所に詰めて翌日の準備をしていた時に、細い五階建てのビルが揺れ始め、支援者から頂いたお酒を積んでいた5階から酒瓶が崩れて割れる音がし、繁華街は停電と共に、多くの飲食店から客が飛び出し何があったのか不安げにしていました。
停電が復旧し、テレビでは地震の速報が奥尻沖を震源とした大地震であることを伝え、津波の警報も出されていました。
とりあえず、選対役員に連絡をし、事務所に招集をかけ、それぞれの担当が情報を集めたり、事務所内に散乱した書類や事務用品の後始末をしていましたが、心配なのは檜山に行っている候補と本隊車、乗車要員でしたが、連絡が取れ全員無事であることを確認、テレビでは刻々と被害の状況が映し出され、奥尻が大変なことになっていることに、いたたまれない思いになりました。
翌日からは被害の状況がより鮮明になり、先ほど述べたように大きな災害となりました。
明日、奥尻町では「北海道南西沖地震20周年追悼式典」が行われ、私も出席します。
奥尻町をはじめ、日本海沿岸で多くの方々が犠牲となった甚大な災害の教訓を後世にも伝え、自然界への畏怖の思いを忘れずにしたいものです。


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