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またも合憲か

  • 2021年06月24日

 選択制夫婦別姓に関わる最高裁の判決が出ました。

 一縷の希望を持ちましたが、最高裁は先例を踏襲し、正面からこの問題に取り組むことを放棄してしまいました。

 詳しい内容は、新聞等でご存じだと思いますので、ここでは述べませんが、夫婦別姓を法で義務化するのでは無く、望んでいる方々がどちらを選択しても良いように法を整えることを判断せず、行政の取り組みに期待するとは、まさしく今の司法の現状を表していると言わざるを得ません。

 今日の道新に掲載された東京都立大学の木村草太教授(憲法学)の論考は、判決に至った最高裁の本質をえぐり出しています。

 今月6日の私のブログ「司法の独立」に週刊金曜日の記事の一部を掲載していますので、改めて再掲します。

<園部逸夫元最高裁判事が新聞に寄稿した小論(朝日新聞2011年11月30日“耕論”)によると、「最高裁には行政庁のいうことは基本的に正しいという感覚があり、その理屈として『行政庁の自由裁量』という逃げ道が用意され、その一つが『専門技術裁量』、すなわち、安全性について『看過しがたい過誤、欠落』がない限り、高度の専門知識を備えた行政庁の判断を尊重するというものであり、もう一つは『政治的裁量』で、例えば『経済活動に原発は必要』といった行政の政治的判断に委ねると言うものです。」>と、最高裁の現実を伝え、同じく<森野俊彦元福岡高裁部総括判事は、「下級裁判所裁判官も、そうした最高裁の動きに敏感で、国の政策の根本に関わる訴訟については及び腰、場合によっては思考停止が歴然の様相を呈しています。しかし、それは実は、ひとりの裁判官だけの責任では無いのです。かりにも、最高裁が時の政治権力におもねること無く毅然とし、憲法違反の判決を出した裁判官をほめ称えないにしろ寛容に遇するならば、もっといい判決がでることは間違いありません。」>

 司法は、その任官や昇任について政府(内閣)の昇任を受けなければなりません。

 その歪さについて、

<澤藤統一郎弁護士は、「今の司法が、憲法の想定する『憲法保障の中心機関』になるためには、行政や立法への違憲審査が躊躇無く果敢に行われなければならない。そのためには全ての裁判官が独立し、誰からの干渉も誰への忖度も無く、法と良心にのみ従った判決が可能で無ければならず、そのような裁判体を支える健全な司法制度の整備が必要だ。

 司法には二つの側面がある。裁判部門と、それを裏で支える司法行政部門=司法官僚だ。しかし、現実は『司法の独立』のために奉仕すべき行政部門が裁判部門を支配する逆転現象が起きており、裁判官は司法行政から独立し得ていない。

 すべての裁判官が昇任、昇格、昇級、任地等々の人事権を握られ、あえて良心を貫こうとした尊敬すべき裁判官は異動させられるなど重要事件から疎外される。下級審裁判官は人事権を梃子(テコ)とした司法官僚の統制から独立性を維持できず、最高裁は今や時の権力に迎合し、忖度する存在でしか無い。>と話しています。

 つまり、このように権力におもねる最高裁の裁判官は、国民審査で「NO」を突きつけねばなりません。

 今年は衆議院選挙が行われます。

 この選挙と同時に行われるのが「最高裁裁判官の国民審査」です。

 投票所で国民審査の投票用紙が渡されますが、この時に罷免したい裁判官には「×」をつけることです。

 今回は15人中11人が合憲の判断を示し、4人の裁判官が違憲の判断をしました。

 まず、この11人は「×」でしょう。

 この国民投票は、×を付けずにそのまま投票すると信任となります。

 この投票方法自体に問題があり、信任したい裁判官に「○」を付け、何も付いていない票は不信任とするような投票にすると、最高裁の裁判官も真剣に審議するのでは無いでしょうか。

 そして私たちも、原発や平和・人権などの最高裁判決を裁判官がどのように審議をし判断を下すのか十分注視をして、国民投票という私たちの権利を行使しなければなりません。


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